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September 2992007

 一人湯に行けば一人や秋の暮

                           岡本松濱

週鑑賞した千代尼の句の出典として、この『岡本松濱句文集』を開いた。婦人と俳句、という題名で書かれたその一文は興味深く、千句あまりの松濱本人の句も読み応えがある。これはその中の一句なのだが、初めに読んだ時、銭湯に行く作者を思い浮かべた。日々の暮らしの中の、それほど深刻ではないけれど、しんみりとした気分。話し声、湯をかける音が反響する銭湯で、他の客に混じってぼんやり湯に浸かっている、どこかもの寂しい秋の夕暮、と思ったのだった。そうすると、行けば、がひっかかるかな、と思いつつ、句集を読み終え、飯田蛇笏、渡辺水巴の追悼文を読み進み、そして野村喜舟の文章を読んだところで、それは勘違いと分かった。この時、松濱は東京で妻と二人暮らし。喜舟が初めてその家を訪ねた時、ちょうど妻が銭湯へ行っていて一人であったという。それを聞いて、喜舟は、この句を思い出した、と述懐している。そういうことか。そう思って読むと、ふっと一人になった作者は、灯りもつけずに見るともなく窓の外を見ていると思えてくる。しんとした二人暮らしの小さな家のたたずまいと共に、暮れ残る空の色が浮かぶのだった。申し訳なし。句集に並んで〈仲秋や雲より軽き旅衣〉。仲秋の名月も満月も、美しい東京だった。「岡本松濱句文集」(1990・富士見書房)所載。(今井肖子)




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